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モンゴルスタディツアー2008 報告

2008年の8月下旬にストリートチルドレン芸術祭主催のスタディツアーへ東北福祉大学事務局からも参加させていただきました。


活動報告

モンゴルの首都ウランバートル市街におけるストリートチルドレンの実態を調査すること。(モンゴルでは『マンホールチルドレン』と呼ばれる住む家も身寄りも無く、路上のマンホール内での生活を強いられている子どもたちがいる。)

そして、ウランバートル市内における子どもたちへの支援活動等を行っている施設への訪問・交流とストリートチルドレン芸術祭であげた収益からから寄付金の贈呈をするため。

その他にも、モンゴルの風土や文化に触れ、広大な大自然・遊牧民との触れ合いや体験を通じて、日本との違いやその土地の人々の暮らし等、様々なことを実際に感じ取ること。

マンホールチルドレンについて

1991年のソ連崩壊に伴って、ソ連からの経済支援に全面的に依存していたモンゴルは大きな影響を受けた。国内では経済の混乱と様々な社会問題が発生し、失業者が増え人々の心に余裕がなくなり、国内は混乱に陥ることになってしまった。

その様に社会が不安定になった時、いつもしわ寄せが最初にやってくるのは子どもたちである。親を亡くしたり、捨てられたり、虐待を繰り返す親から逃げ出し家出する子どもたちが増えていった。行き場を失った子ども達は、ウランバートル市街をさまよった後、寒さをしのぐためにマンホールの中で生活するようになった。モンゴルの冬は−30度にまで気温が下がるため、マンホール内のお湯の通っているパイプに身を寄せ寒さを凌いでいるのだ。しかし、マンホールの中は不衛生極まりなく、汚水が溜まった所やねずみや虫がわいている所もあり、とても良い場所とはいえない。

ソ連崩壊当初の『マンホールチルドレン』の数は数千人に及んでいたが、現在2008年の冬の段階では50〜70人ほどに減っており、2011年までにマンホールチルドレンの数をゼロにする政府の計画は順調に進んでいる。今後はマンホールを出た後の子どもたちの生活環境の確保と傷を負った心のメンタルケアの環境整備が急がれている。



IVNMC ハイリンヒシグ小学校(佐藤・宮林 担当)


IVNMCについて説明する際にモンゴル子ども支援(IVNMC ハイリンヒシング)代表の江口喜多枝さんについて触れて生きたいと思います。江口さんの生き方がIVNMCそのものを語っていると思うからです。

「京橋で生まれ育ち、小学校は城東小学校でした。まだ下町の雰囲気が強く残っていた時代。隣近所とのつながりも深く、お腹が空いた時は近所のおばさんにご飯をごちそうになることもありました」

この江口さんの発言のように、人と人との助け合いの中で幼少期を過ごしたことが今の活動(IVNMC)の原点となりました。

江口さんは、1999年に国際ロータリークラブの地区委員としてモンゴルを訪問し、日本語学校へ教材を、病院へ医療機器を、シングルマザーの働く場所としてアイスクリーム、パン工場を、ロータリークラブから寄贈しました。医療機器は新生児の死亡率を下げるため超音波装置を贈り、パン工場は売れ残ったパンを食料として持ち帰れる等、現地に合った支援を行いました。


しかし、この支援は単年度で終わるため多くの問題が未解決で残り、支援の内容も限られていました。漏れた支援や支援を待つ孤児たちを江口さんと新藤さんの2人の委員は見捨てることができず、個人的に支援活動を始めました。2人は緊急用自動車の寄贈と、孤児院の支援を行いました。孤児院は、ストリートチルドレンを引き取って育てており、江口さん達は20人程の孤児の食費として必要な月2万円を二人で負担することにしました。その後、孤児の数が増えるに伴い支援額も増えていきました。現在、孤児は300人に増えています。


個人の支援に限界を感じた江口さんは、2003年10月、「モンゴル子ども支援国際ボランティアネットワーク」(IVNMC)を設立し、その代表となりました。IVNMCはモンゴルへの食料援助と教育援助の2つを活動の柱としており、同年パン工場へ機械を贈り、120人の子どもへパン給食を開始しました。教育援助では奨学金制度を設け20名以上の奨学生を支援しています。奨学生は大学進学より職業訓練を優先させ、将来のモンゴルを背負う人材の育成を目指しています。その他、図書や学用品の寄贈も行っています。また文化交流としてモンゴル平原での日本の凧揚げや、江口さんの恩師の協力を得て弓の交流も行いました。


IVNMCの活動資金は、支援団体や有志からの寄付を純粋に支援に使うため、モンゴル現地での事務所費、通信費、人件費や江口さん自身の渡航費用、領収書の出ない経費は江口さんが個人で負担しています。こうした江口さんを中心としたIVNMCの活動や働きかけはモンゴルの人々や政府を動かし、自助努力への動きも出てきました。江口さんは、IVNMCの活動が早く不要となることを願いながら活動を続けています。

江口さんは、奉仕(ボランティア)はギブアンドテイクだと言います。


「「与える」「もらう」というだけでは子どもたちの教育になりません。お互いができる範囲で助け合うことが大事だと思っています。手紙や絵でもいい。モンゴルの子どもたちからも心の支えをもらっています」と江口さんは語っていました。

以上のことからも分かるように、IVNMC「顔の見える奉仕」をモットーに活動されている団体です。

今回、私たちが訪問させていただいたのは、IVNMCが運営する教育援助を目的として設立した日本語学校(ハイリンヒシグ学校)です。つぎにIVNCが運営する日本語学校について説明します。

ハイリンヒシグ学校は「孤児、親たちに生活能力がなく、勉強したくても進学の道を閉ざされた子供たちへの教育と自立援助」に取り組んでおり、日本語の学習の他に、職業訓練と自立協力援助をおこなっています。

昨年(2007年)12月にチンゲル邸区に開校されました。チンゲル邸区は、ウランバートル市内から車で10分ほどの場所で、食べることに精一杯で勉強したくてもできない子供たちが特に多く住んでいる場所です。チンゲル邸区は、田舎から都会(ウランバートル)へ移り住む人が多く住居している地区であり、ゲル地帯でもあります。

ハイリンヒシグ学校は、給水設備がないので井戸を掘り、暖をとるためボイラー室を完備しています。1階は食堂、2階に英語教室、日本語教室、音楽室、ビデオルーム、図書館、当会の奨学生が無料で使えるパソコンも設置されています。現地ではラウガーさん、井上さん、ゾラさん、米国人マークさんが、中心となって学校の活動に無償で取り組んでいます。

ハイリンヒシグ学校では、日本語と英語の二つの言語を教えていたのですが、英語の先生が病気で不在のため、現在は日本語だけ教えています。日本語を教えているのはゾラさんという女性の方で、日本語検定1級を取得している素晴らしい方です。

週に3回開講されており、水曜日は午前と午後に分けられ、1時間30分ずつ授業が行われます。午前の授業が終わると子供たちに食事を提供し、1階の食堂で一緒に食べます。土曜日と日曜日には1時間、授業が開催されます。開校時には13人いた生徒が現在では8人となっています。1クラスしかないので勉強についていけない為に、辞めてしまう子もいるのです。

  

学校でどんな事をしたか

ハイリンヒシグ学校に着いた私たちはその立派な建物にまず驚かされました。中に入ると、子どもたちが各々の席に着席しており、拍手で歓迎してくれました。芸術祭のメンバーの紹介後、東京版でのカレンダーの収益の中からの寄付金を小嵐中学校校長の中島先生から手渡されました。

その後は、子どもたちとの交流タイム。まず、歌手のAKIさんから歌のプレゼントをすることになり、子どもたちと丸くなって座り、CDを流しみんなで歌いました。次は大道芸人の安田太郎さんからパントマイムのパフォーマンスのプレゼントをしてもらい、職員も子どもたちも大笑いで、初めて見る不思議な動きに大興奮でした。

その後は個々に分かれ、藍染体験や折り紙教室を通して、子供たちとの交流を楽しみました。学生が折り紙を折っていると好奇心旺盛な子供たちは、人見知りすることなく積極的に輪に加わり、学生から折り方を教わったり、真似たりして熱心に取り組んでいました。そんな中、日本の子ども歌える歌を知りたいというリクエストがあり、みんなで「げんこつ山のたぬきさん」と「幸せなら手をたたこう」を振り付けと歌を教えてあげることになりました。教えるとみんなすぐに覚えてくれ、大盛り上がりでした。

そんな中で私はザヤ(14歳)の女の子と話すことができました。彼女は以前市街のゴミ捨て場でゴミを拾って暮らしていました。しかし、この学校で勉強する機会やエルデネバットさんという画家さんにスカウトされ、絵を学ぶ機会にめぐり合い今ではたくさんの仲間に囲まれています。更に彼女は、英語が堪能で簡単な英語なら十分に話す事ができることに驚きました。趣味はダンスでルンバが踊れると言っていました。この学校へは通い始めて5年にもなると言っていました。

お昼は子どもたちと一緒に日本から持ってきたそばを食べて、最後に遊んでくれたお礼に子どもたち一人ひとりにお菓子をプレゼントして小学校を後にしました。

  

感想

私たちはハイリンヒシグ学校を訪問し、子供たちと自由に交流してきました。一緒に折り紙を作ったり、ソバを食べたり、日本の昔ながらの歌を教えたりなどして、楽しく交流できました。特に、奨学生のエンフトヤさんと親しくなることができました。彼女は21歳で日本語と英語を少しですが、話すことができ、日本語は書くこともできるという素晴らしい子でした。電気製品も扱えるようになりたいとパソコンの勉強も始めたそうです。日本のファッションや、お洒落について興味を持っていて国や育ってきた環境は違っていても、やはり共通した感性や、思いを持っているのだなと感じました。

しかし、エンフトヤさんを始め、ハイリンヒシグ学校で出会った子たちの、どんなことにも興味を持つ姿勢や、私達のつたない英語から日本の文化を学ぼうとする姿勢から、私にはないものを感じました。そして、恵まれた環境にいながら、その環境に甘えている自分の生活スタイルを恥ずかしく感じました。そして、学びを得た私は「ボランティアはギブアンドテイクだ」という言葉の意味を身をもって感じることができました。

ロータスチルドレンセンター(孤児院) (遠藤・周防 担当)

施設の歴史

このLOTUS CHILDREN CENTERは1995年にウランバートルに住むオーストラリアのヨガの教師をしていたディディ・カリカによって設立させられました。

施設の理念

1つ目・すべての子どもたちに食物・衣服・健康・住居を含む今本的なものを供給できるようにする。2つ目・すべての子どもたちの発達上のケアを供給する。これはこどもたちを貧困のサイクルからだ脱却し、自由の身にすることである。3つ目・子どもたちがロータスチルドレンセンターで生活をしていくことをサポートしていき、教育をしっかりと受けれるように安全な場所を確保していくこと。

これらがロータスチルドレンセンターを運営していくにあたって必要なことです。

  

この施設を訪れての感想

私たちがこの施設を訪問したのはモンゴルに到着して2日目でした。この日は朝からスケジュールがいっぱいでロータスチルドレンセンターに滞在できた時間はほんの一時間弱で施設の中まで拝見することが出来ませんでした。しかし、施設の中庭で、折り紙を教えてあげて一緒にやったり、サッカーをしたり、写真を撮ったりと各自が楽しく過ごしました。この施設には様々な理由で親との生活が出来ずに孤児になってしまった子どもたちが暮らしています。下は2歳から上は23歳ととても幅広い子どもたちが生活していました。23歳となれば私たちよりも年上になります。この施設の子どもたちは自分自身の境遇をすべての子どもたちが受け容れているかどうかはわかりませんが、子どもたちは少なくとも私たちと接しているときはその辛い環境を感じさせるようなことはありませんでした。子どもたちは私たちと一緒に遊び、笑い、写真までも撮らしてくれました。

ここで私が感じたことは、子どもたちはどんな境遇にいようが、子どもは子どもであり、思いっきり楽しく生活しているんだなと思いました。この子どもたちをサポートしているロータスチルドレンセンターのすごさに言葉では表せない感動を覚えました。そしてこのような施設がモンゴル国内により多く設立されることを願っています。

画家エルデネバットさん (遠藤・松本・大田原 担当)

ツアー2日目、私たちはウランバートルの日本語学校でエルデネバットさんと出会った。私たちが子どもたちと笑い遊びながら写真を撮っていると、エルデネバットさんとその息子さんから声をかけられた。エルデネバットさんとその息子さんはずっと笑顔だった。

エルデネバットさんは画家である。首都ウランバートルに住み、子供たちと一緒に絵を描いている。私たちが日本語学校から出たあと、エルデネバットさんの家に訪問させて頂き、様々な話を聞かせて頂いた。また、バットさんの教え子のみんなにも話を聞くことが出来た。

今回私たちが訪れた、バットさんと子供たちが絵を描いている建物は3階建てで、1階をバットさん達が使い、それ以外の階は貸しているそうだ。建物には多くの絵が飾られており、子供たちの絵が300冊もあった。

バットさんは自分で絵を描くと同時に、子どもたちの絵画展を開いている。モンゴルでは、6月1日が子供の日で、エルデネバットさんは国から芸術勲章のメダルをもらった。

バットさんの部屋では、ビデオが流されていた。画家の紹介で取材が来たそうで、バットさんがごみ捨て場にいる子供たちに声をかけ、その場で絵をかかせるという内容だった。

そこで私たちはバットさんに、子供たちと一緒に絵を描くきっかけを伺った。 バットさんは洋服のデザインが専門だが、子供たちの、街でのかわいそうな状態を見ていられなくなり、「その子供たちの才能を発揮すれば何か変わるだろうと思った。」ということがきっかけだそうだ。

 

さらにエルデネバットさんは、「子どもたちがゴミ捨て場とかにいるのではなく笑って生活できるように願って。」とおっしゃった。

モンゴルの首都ウランバートルには、資本主義移行後、家の生活が苦しくて親に捨てられたり、暴力で親から逃げ出してきたりした子どもたちが多く居る。その子どもたちは「マンホールチルドレン」と呼ばれている。現在は少なくなってきているが、ゼロではない。その子どもたちはごみ捨て場(ごみの埋め立て地)や路上で日々の生活している。

エルデネバットさんはその子どもたちを見て、「暗い表情をしているのではなく、明るく生活出来たら」とおっしゃっていた。

この言葉を聞いて、「笑う」事がこんなに大きな意味を持っているという事を深く考えた。

日本は経済的に豊かであるが、どれだけの人が笑って暮らしているだろうか。日々仕事に追われたり、些細(ささい)な喧嘩をしたりしてはいないだろうか。

私たち日本人は笑って生活しているだろうかと、ふと日本の現状を思い浮かべた。

そして、私たちはバットさんの部屋に来ていた4人の女の子に話を聞いた。

1人目はインヒデルちゃん9才。絵を描いている時はどんな気持ちですかと質問すると、「絵を描いているときは楽しい!」と言っていた。インヒデルちゃんの将来の夢は医者になる事だそうです。

2人目は、ザヤちゃん14才。ザヤちゃんはインヒデルちゃんのお姉さんである。ザヤちゃんの絵を描いている時の気持ちは、「絵は小さい頃から描いている。やっぱり楽しい」と言っていた。そしてザヤちゃんの将来の夢は、設計士(デザイナー)になる事だそうです。

3人目はナモちゃん13才。ナモちゃんの絵を描いている時の気持ちは、「絵を描くのは楽しいし、自分の描いた絵を見せたら楽しかった」と言っていた。ナモちゃんの将来の夢は先生になる事だそうです。

そして4人目のツァワちゃんは「絵を描くのはとても楽しい。先生の絵がすごい」と言っていた。将来の夢は絵を描く人だそうです。

エルデネバットさんは最後に「困っている子供たちを誰か大人が助けなくてはいけない」と言っていた。

エルデネバットさんと息子さんは、日本語学校で出会ってから私たちと別れるまで笑顔を絶やさなかった。笑顔を忘れない事を私たちに教えてくれた。

遊牧民家庭訪問・生活体験 (遠藤・松本・大田原 担当)

2日目の夕方、私たちはウランバートルを発ち、バスで「ウンドルドブ」という場所に向かった。ここは町ではなく、旅行者が宿泊できるようなキャンプ「GOBI MON ツーリストキャンプ」である。レストランのような木造の家と「ゲル」がいくつか並んでいる。

バスから降りると見渡す限りの草原が広がっていた。遥か向こうまで草原である。

夕食を食べ終わると日は暮れて、外に出ると丘から風が吹いていた。雲の隙間からは星が見え、とても神秘的な雰囲気だった。

宿泊するゲルの中央にはストーブがあった。モンゴルの夜は冷え込み、私たちが行った夏の時期でも夜には10℃ぐらいまで気温が下がる。そのため、夜23時と朝4時ころの2回、キャンプの人が火をつけに来てくれた。

3日目の朝、私は寒さで目を覚ました。日本で言うと秋から冬のような寒さである。外に出てみると風が強く、雨が降っていた。空は灰色の雲で埋め尽くされていたが、1時間ほど経つと青空が広がり、強い日差しが照りつけた。モンゴルの天候の特徴を感じた。

8月25日午前、私たちはキャンプの近くにある遊牧民のゲルを訪れ、遊牧民の生活など、さまざまな話を聞くことが出来た。

今回訪れたゲルにはおじいさんとおばあさんとその孫が住んでいる。また、ヤクを60頭飼っていて、寒くなったらヤクの放牧のために山へ登り、雪が消えると山からおろすそうだ。

ゲルの中ではヤクの乳(ミルク)を温めていた。ヤクのミルクは毎日取っていて、とれたての乳は病気に効くという。このヤクのミルクから、「アールール」という干したチーズと、「ウルムー」という、ミルクの油をすくって作ったバターのような物が出来る。

遊牧民は夏の期間に乳製品を食べておなかをきれいにしておかなければならない。大昔はほとんど乳製品ばかりで生活していたが冬場に関しては肉を食べないと生きていけないそうだ。

アールール、ウルムーなどのほか、日本酒に酸味を加えた感じで、肝硬変に効くという「馬乳酒」も出してもらい、みんなで味見をした。

遊牧民の住居である「ゲル」には様々な工夫があった。天井には時間を見るために「天窓」があった。天窓の日差しで、時間が分かるという。また、暑いときはゲルの下部を開けて、風通しを良くして過ごしているという。

このゲルを組み立てるには30分しかかからないという。さらにゲルの電気を付けるためのソーラーパネルもあった。なお、ゲルで使用する飲料水は、現在キャンプ(「GOBI MON ツーリストキャンプ」)の井戸から持って来ているという。

また、ゲルの中央にストーブがあり、ヤクの糞(ふん)を乾かし固くなったものを燃料にしている。ヤクの糞はストーブの燃料だけではなく、ゲルの壁、蚊取り線香などにも使う。おばあさんは「遊牧の中で捨てるものは何一つない。全て食べたり使ったりする。」とおっしゃっていた。

遊牧民は欲が無く、ゴミを出す事もなく、家畜の骨であっても犬の餌にするそうだ。「移動の際に財産が増えると大変なのであまり欲が無い」とおっしゃっていた。

ゲルの奥にはチベット仏教の仏壇があった。社会主義時代は信教の自由が厳しく弾圧されていたため、昔は仏壇を隠して持っていたという。

おじいさんとおばあさんは四季に合わせて4箇所に移動するという。これから9月になると十数キロの移動があるそうだ。移動する場所は家畜に合わせて選ぶが、一番に従うのは気候であり、時には何百キロも移動する事もあるらしい。

遊牧民の家畜の数はその人の遊牧民としての経験値の高さを示しており、300〜400頭の家畜がいないと生活していけないと言われている。

なお、冬に雪が降っても方角は経験で分かるという。モンゴルでは地形に詳しくないと生きていけないそうだ。

  

今回訪れた遊牧民の老夫婦2人は、昔から遊牧生活をしていた訳ではなく、昔は町で働いていた。父は電気関係の仕事を、母は裁判所で法律関係の仕事をしていた。しかし11年前から遊牧生活を始めたという。 遊牧民の人の寿命は 60歳から70歳だが、モンゴルでは50歳になると年金が支給される。今は年金で遊牧生活をしているそうだ。なお、年金は50歳からだが、おじいさんとおばあさんには6人の子供がいる為、年金をもらうのが早くなったという。

モンゴルでは5〜10人の子供を産むのが普通であるが、最近の若い人はあまり子供を産まなくなっているそうだ。なお、おじいさんとおばあさんの子供たちはウランバートルに居るらしい。遊牧民の子供は寮か親戚の家に住んで小中学校・高校へ通うらしい。  なお、モンゴルは他国と比べても識字率は高く、地方の人が、頭が良いらしい。また、ウランバートルでは、主に社会性を養っているそうだ。

そして私たちは現代の遊牧民の生活の知る事が出来た。まず、遊牧民はたいていバイクを持っているという。また、少し昔は移動する際、牛や馬に引かせて外で寝泊まりをしていたが、今は車を使うそうだ。おじいさんとおばあさんのゲルの外には車とバイクが置いてあった。  また、ラジオも持っている。遊牧生活の中でラジオは必需品であり、気温や世間の情報を聞くという。3日おきに遊牧民への天気予報も放送されているそうだ。

さらに話をしていくと、気候の話になった。モンゴルの気候は年々変化しており、モンゴルの遊牧生活にも影響を与えているそうだ。6・7月に気温が30〜40℃になったという。また、以前は川があったがしだいに水が減って水も無くなり、草の種も少なく、雑草が増えてきて困っているそうだ。雪も少なかったという。しかし数年前は大雪で草が生えるのが遅く、モンゴル国内の3分の1の家畜が死んだという。

最後におばあさんはヤギ・ラクダ・牛・馬・羊の「くるぶし」の遊び道具を持ってきた。これでおはじきのように遊んだり、競馬やマージャン、占いをしたりするという。そこで今回の私たちの旅を占ってもらったところ、良い旅になるという結果が出た。

このような話を聞きながら、ゆっくり過ごした。午後はキャンプに戻り、乗馬体験をした。  2日間でモンゴルの歴史、文化、自然を直接学ぶことができ、とても有意義なものとなった。

青少年犯罪の裁判前拘置所 (村松・保坂 担当)

所長のダワオチルさんは、1980年からこの拘置所に勤めていました。当時は拘置される子供が非常に多く、拘置することのみを目的とした施設だったのでウランバートルから10キロ以上も離れた場所にあったそうです。現在では、家族から離すことのないようにウランバートル郊外にこの施設があります。ここは裁判段階前の子供の拘置所で、年間200〜350人の子供がこの施設に拘置されるそうです。私たちが訪問した日現在では34人が拘置されていて、そのうち1人が女の子だそうです。

彼らはここで、毎日ソーシャルワーカーやカウンセラーと話し合ったり、アドバイスを受けて生活しています。モンゴルでは97年からこうしたカウンセリングを導入しました。これは出所した子供が社会的に対応できるようにするためです。

最近のモンゴルでは自殺者のいるため、こうした施設ではますます必要不可欠なこととして理解されてきているそうです。さらに近年では政府間との協力も積極的に行い、よい結果が得られているようです。しかし、日本のように僧侶などが拘置所を訪問することはほとんど無く、社会主義時代のように将来に向けた専門技術を取得できるような環境もなくなってしまったそうです。そのような環境のあった頃は出所後に仕事にも就きやすかったため、犯罪の再発も少なかったそうです。そうした点では社会主義は良い面もあったとダワオチルさんは言っていました。

犯罪が増える原因の1つに、昔と違い今の親は18歳までしか自分の子供の面倒をみないということが挙げられるそうです。18歳になった子供が頼るところがなくなって犯罪に走ってしまうそうです。

 

今回の訪問の際に、拘置所の子供たちから絵や工作を頂きました。モンゴルの草原を描いた絵やお菓子の包み紙で作った白鳥など、どの作品も素晴らしいものばかりでとても感動しました。国際担当長モジさんの話では、犯罪を犯し同センターに入所する青少年は、就学経験のないストリートチルドレンの経験者が多く含まれ、モンゴルではまだソーシャルワーキングの技術、ノウハウが未発達のため、将来を絶望した青少年のセンター内での自殺が問題となっているようで、絵を描くことが、自殺を食い止め、更正し、社会復帰するきっかけになってくれればという思いがある、と話していました。このことに大きな驚きとショックを受け、また彼らの描く作品から彼らの思いや感動を受けた芸術祭のメンバーは、彼らのために何か出来ないかという思いが生まれました。

現在、同センターと芸術祭事務局と生田目先生が連絡を取り合い、ストリートチルドレン芸術祭カレンダーのモンゴル版作成を構想中です。今回の訪問で彼らから受け取った作品とモンゴルのストリートチルドレンたちの作品を中心にカレンダーを作成し、その収益を彼らのために役立てようと考えています。今回の訪問と彼らの作品がこうしたきっかけを生み、私たちの活動に更なる広がりと大きな意義をもたらしてくれたのだと思います。




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